雑談
すこし前に読んだフィルムアート社の『クリティカル・ワード現代建築――社会を映し出す建築の100年史』が面白かった。モダニズム建築の時代から2010年代までの建築史的に重要な作品や固有名詞、鍵概念などを項目ごとに解説したもので、門外漢にははじめて知ること、聞くことが多くてためになった。建築物がどんどん巨大化して大がかりなものになっていくことに違和感を抱いたひとたちが、それに抗うための言説のなかでヒューマン・スケールということばをつかっていたというのが印象にのこる。空間における人間身体の大きさ、小ささを前提にした規模の建築の擁護ということだと思うが、これは大切なコンセプトなのではないか。空間においても、時間においても、精神的なことについても、ヒューマン・スケールということを意識していきたい、と思う。
*
昔話。学生のころ、研究で必要な洋書はアマゾンで購入するのが常だった。もちろん紀伊國屋書店やジュンク堂で洋書が買えることは知っていたが、少ない奨学金のなかから本代をだすとき、アマゾンは便利で助かった(大体の場合、やや安く、やや早く届く)。それでも洋書は注文してから届くまで2週間以上かかるときもあり、注文したときの「熱」が冷めたころに本が届き、微妙なきもちになるということもあった。ほんとうは欲しいわけではないものを欲しいと勘違いさせて買わせてしまうところがオンラインの購買行動には確かにあると思う。自分に必要な本は自分がいちばんわかっていて、そういう本はオンラインで買うことができるから実店舗の本屋は不要であるというひともいるが、実はこれは疑わしいのではないかとも。この話のつづきはまた。
*
近所のよくいく焼き鳥屋さんの値上げがすこしずつ財布に効いてきている。たぶん原材料の価格高騰やいろいろな要因があるのだと思う。コロナ禍のあいだもほぼ通常営業をしていたので、あのときは気持ち的にもずいぶん助けられた。値上げのことはあまり気にせずまた行きたいと思う。ふと、2020年に閉店してしまった自宅から近くにあったレストランのことを思い出す。とてもちいさなお店を、料理人のお兄さんがひとりで切り盛りしていた。ときどき賑わっていたものの空いていることも多かったが、おにいさんは料理の腕だけではなく雰囲気もよく、食事や彼とのやり取りのなかでいやな思いをしたことは一度もなかった。閉められたのは残念だけれどほんとうに、ほんとうにすてきなそのお店を知り、ときどき思い出せることがうれしい。
*
すこし前にラジオのパーソナリティの若いひとが、TwitterやInstagramではなくお店の自社サイトへアクセスすると、そのお店に行ったみたいなきもちになると話していたのをときどき思い出す。SNSのインターフェースはもう公共の場のようなものとして感じられ、自社サイトのまとう偏差をより親密なものとして受け取るということなのだと思う。関係ない話かも知れないが、店をオープンした当初は、臨時休業やなにかのお知らせは公式サイトやブログにポストするのが親切なのではないか、とか、SNSだけでお知らせをすると不便を感じるひともいるのではないか、とかそういう序列について考えたりしていた気がする。さいきんは店の入り口に紙に書いたものを貼っておくのがいちばんよいな、と思う。そういう自分の考えかたの変化も、それはそれで面白い。
昔話。学生のころ、研究で必要な洋書はアマゾンで購入するのが常だった。もちろん紀伊國屋書店やジュンク堂で洋書が買えることは知っていたが、少ない奨学金のなかから本代をだすとき、アマゾンは便利で助かった(大体の場合、やや安く、やや早く届く)。それでも洋書は注文してから届くまで2週間以上かかるときもあり、注文したときの「熱」が冷めたころに本が届き、微妙なきもちになるということもあった。ほんとうは欲しいわけではないものを欲しいと勘違いさせて買わせてしまうところがオンラインの購買行動には確かにあると思う。自分に必要な本は自分がいちばんわかっていて、そういう本はオンラインで買うことができるから実店舗の本屋は不要であるというひともいるが、実はこれは疑わしいのではないかとも。この話のつづきはまた。
近所のよくいく焼き鳥屋さんの値上げがすこしずつ財布に効いてきている。たぶん原材料の価格高騰やいろいろな要因があるのだと思う。コロナ禍のあいだもほぼ通常営業をしていたので、あのときは気持ち的にもずいぶん助けられた。値上げのことはあまり気にせずまた行きたいと思う。ふと、2020年に閉店してしまった自宅から近くにあったレストランのことを思い出す。とてもちいさなお店を、料理人のお兄さんがひとりで切り盛りしていた。ときどき賑わっていたものの空いていることも多かったが、おにいさんは料理の腕だけではなく雰囲気もよく、食事や彼とのやり取りのなかでいやな思いをしたことは一度もなかった。閉められたのは残念だけれどほんとうに、ほんとうにすてきなそのお店を知り、ときどき思い出せることがうれしい。
すこし前にラジオのパーソナリティの若いひとが、TwitterやInstagramではなくお店の自社サイトへアクセスすると、そのお店に行ったみたいなきもちになると話していたのをときどき思い出す。SNSのインターフェースはもう公共の場のようなものとして感じられ、自社サイトのまとう偏差をより親密なものとして受け取るということなのだと思う。関係ない話かも知れないが、店をオープンした当初は、臨時休業やなにかのお知らせは公式サイトやブログにポストするのが親切なのではないか、とか、SNSだけでお知らせをすると不便を感じるひともいるのではないか、とかそういう序列について考えたりしていた気がする。さいきんは店の入り口に紙に書いたものを貼っておくのがいちばんよいな、と思う。そういう自分の考えかたの変化も、それはそれで面白い。