年明けから

2022年の暮れのことを思い出すと――このふた月がずいぶん早く過ぎてしまったというのに年末のことはけっこう前に感じられるのがふしぎなのだけれど――かなり分かりやすくやる気があったと思う。来年、つまり今年はこういうことをしよう、ああいうことをしよう、棚のあそこを変えてみよう、そういう感じで。年始の営業をはじめて幾らも過ぎないうちに新型コロナ・ウイルスの症状が出て、検査の結果は陽性。一日半ほどは喉のいたみがつよく、微熱もあり、ああ、これがこの3年のあいだ自分の考えや振る舞いをかたちづくる大きな要因でありつづけているウイルスなのだな、と思ったりした。復帰しても出鼻をくじかれた感はあり、今年はフォームを崩されながらもどうにか走りつづける、そういう年になるのかという気がした。


自分が店に出られなかった1週間ほどは店員が店を開けてくれていた。退勤時刻の17時をそのまま閉店時間にした。毎日17時過ぎに売上となにかあったことをメールで知らせてくれるのがありがたかった。新型コロナ・ウイルスの流行以降、本屋に限らずいろいろな店が営業時間を短縮しているのをみて、それでやっていけるならそのほうがいいと思っていたので(みんな働きすぎなので)もし17時閉店でも売上がおおきく変わらないなら、復帰後の働きかたとして、まあ17時閉店は早すぎるとしてもたとえば19時に閉めるとかそういうこともあるのかと思ったりしていたのだけれど、売上はしっかり下がった。ずいぶん先の将来のこととして営業時間の変更はあるかも知れないが、当面のあいだは21時までの営業でやっていくことにした。


年末に思っていたことはもうひとつあって、物価高と社会不安を背景に、年明けから売上がおおきく落ち込むこともあるのではないかということだった。今の時点でそれほどおおきく数字が下がっているわけではないが、数字に(まだ)あらわれていない機微として、言いようのないようなニヒルな空気が町や社会に流れているのを感じている。そのニヒルな雰囲気は、店で本を売るお金で暮らしている自分にとって不穏なもので、なるべく早いうちに手を打ったほうがいいという気がしている。手を打つというのは結局棚に手をかけることにほかならなくて、具体的に考えてみるなら、一冊の値段が3,000円以上の本がコンスタントにうごく棚を今までよりひとつ、できればもっと多くもつことか。しかしどうやって。いろいろ考え中。


3月1日は定休日で、Yさんと出かけることにした。マティス展の広告を見かけたのでいこうという話をしていて、ふと前日に美術館のサイトを確認すると会期は来年(!)なのであった。あぶなかった。代わりに、興味のある写真展があるというので現地で待ち合わせることにした。駅の改札から長い長い動く歩道を通りぬけ、美術館の前までたどり着いてみると、会期は明後日から。なんというおっちょこちょい。Yさんに連絡して謝罪。外でビールが飲めるきもちのよい場所を見つけて、ちょうど到着したYさんとくつろぐ。雲がうつくしくて、飛行機がいくつもそれほど高くない空を過ぎていった。服屋、雑貨屋、本屋を冷やかして、家具屋で椅子を買った。

今日のおっちょこちょいと関係があるわけではないのだけれど、下手くそなフォームで走ることの覚悟ができつつあるのを、なんとなく感じている。